
黄金スイカで”金のたまご”なんて名前がついてる。
これを初めて食べたのは去年の夏だったな。
小玉だから畑で見たときはマクワウリかと思った。
中は真っ赤な実できれいだったね。
食感はシャリシャリでおいしかった。
今年は食べれないけど、来年また作ってね。

やっぱり夏はシシトウ。
味噌炒め最高。
焼いたのを生姜入りの汁につけて食べるのもあっさりしていい。
同じ枝から採ったはずでも、飛び上がるように辛いのがあるのが、怖いようで結構好き。
今年は残念、その遊びできない。

立秋だなんて信じられない暑さの日本の夏。
花は暦に忠実に咲いている。
なんて強いんだろう。
リンドウと言うと田んぼの畦道やお墓のあたりにたくさん咲いてたな。
あの釣鐘状の花がとてもかわいくて好き。
夏休みが終わるのを感じる花です。

私が子供の頃、おばあちゃんの畑からのトマトはでかい赤いのって決まってた。
でもお父さんは、そのトマトをまだ青いうちから採ってて、皮剥いて塩かけて食べてたね。
それが今では、お父さんの畑から採れるトマトといったら、作った本人でもわからないくらい種類が多い。
大きさも、形も、色も、食感も、味も、それぞれ個性があってすべておいしい。見てるだけでも楽しい!
これがまた採っても採っても、毎日どんどん大きくなって、どんどん増えて、毎年お父さんに、”トマト食え、トマト食え”と脅される私たち。
トマト好きの私としてはうれしい悲鳴。
しかし今年は私が日本に帰れないんだから、お母さん、がんばって食べないとね。

とうもろこしの瑞々しいのは生でしゃきしゃき食べるのが好き。
サラダに散らすと最高よ。
自分の畑から取れたとうもろこしが食べれるのはまた格別だろうな。
お祭りの屋台で売ってるのもなんか懐かしい。
私はとうもろこしをポキッと二つか三つに手で割って、それをまな板の上で立てたところを包丁で実をスーッとそぎ落とすの。粒々がつながってシート状になって取れるのがなんか楽しくって!
お母さんのように一粒一粒丁寧に食べるのもまた楽しそう!私も子供の頃はこうやって食べてたんだろうな。

わーーー!
お父さんの畑で三尺ささげが長くぶら下がっているのを思い出した。
ささげは細くてふにゃってしてるから、葉っぱや茎の中でカモフラージュしちゃって、ずいぶん長くなっててもつい見落としてしまうよね。
三尺ささげの炒め物、あー悔しい!今年は食べれない!
私の分までたくさん食べて、この暑い夏を乗り切ってね。

”今年の夏は今までで一番暑いのよ。去年も暑かったけど、もうそんなもんじゃないんだから。”
これは過去何年間にわたって、毎年お母さんから聞かされるせりふだった。
それが本当なら日本の夏は、もううちの温度計では測れない暑さになっているはず。
そう思いながら、毎年、”ふーん、まあ夏だからね、覚悟していきます。”と返事してきた私。
しっかし、今年こそは、そのお母さんのせりふを信じてあげなければいけない気がしてきた。
今年の夏は日本に帰らないから、自分でその暑さを感じることはできないが、そこまで暑いなら次に行くのは寒い季節にしようかと計画中。
どんなに暑くても、向日葵は太陽に向かってエネルギーを発散している。
その姿はたくましく、美しい。
お母さんもがんばって。

パソコンがまだ帰ってこない!レンタルのパソコンだとできることが限られるため、絵手紙がたまってしまいました。時期がずれてしまったけど、がんばってお母さんに追いつきます。
これはお母さんが毎日色の七変化を楽しんでいた紫陽花。
今頃は極暑でそのきれいな色もあせてしまっているのかなあ。


前は手水石の前には何もなかったけど、今年はこんなきれいな花が咲いたのね。
これは秋明菊かな。
秋明菊の清楚な美しさは茶室に入るとまた映えるの。
アメリカのうちの庭にも植えてるよ。
花言葉”忍耐”の通り、カリフォルニアの太陽の下で静かにその美を伝えてくれています。

梅雨、アジサイ、カタツムリ
これだけ絵になる組み合わせ他にあるか!
あるけど、梅雨の時期はこれが最高。
七変化を繰り返してきた紫陽花も本格的な夏の暑さを前にそろそろ主役引退。
今年もまた楽しませていただきました。
また来年きれいな花咲かせてね。
ありがとう!


本日の食卓の夏野菜は、なす、ピーマン、なた豆ですか。
毎年楽しみにしているお母さんの味噌いため、畑が宝の山の田舎の夏!
今年は無理みたい。
次は仕事の暇な冬か、或いは来年の春休みか?
それまでみんな頑張ろう!

これはどくだみでしょうか。薬草といっても花はこんなに可愛いのね。
この季節にはあちこちに自生しているけど、実際どくだみを試した事がないので、その効き目とやらは私には分かりません。
今の時代、どこが悪いといえばなんかの錠剤やカプセルのものを買って済ませている人ばかり。いくら民間療法だ、自然からのものだとうたわれても、薬と同じ形になるとどうも口に入れる気もしない。
どうせ効かないと分かって、痛み、苦しみ、悩みなんかに弱い人間の心は、ついつい上手い宣伝言葉に流されてしまっている。
でも、自分で苦労して採ってきた薬草を煎じて飲むとか、飲ませてあげるとか、そこに人間の優しい心が加わると、治らないものでも治ったり、効かないものでも効いた気がするものなのよね。
畑に雑穀か。自分の畑から取れたら最高だろうな。
私は玄米ご飯にAmaranth(日本ではアマランサス)、あわ、ひえなどを少し混ぜて炊いています。見た目もきれいで、食感もよく、また栄養価値も上がるから言う事なし。一昔前、雑穀や玄米は自然食品店や高級食品店にしかなかったけど、今はけっこう普通のスーパーでも扱うようになったし、値段も落ちてきたので嬉しい。
当たり前のもの、普通のもの、体にいいもの、環境にいいもの、当然の事、そんないいものたちが世の中から消えていったり、希少になっているっているのはおかしい。それを手に入れるには相当の努力とお金がかかるってなんか悲しい。なんで普通に、自然に、やさしく生きていけないんだろう、人間って。

お母さんの通う絵手紙教室は一ヶ月に一回だけ。
でも、家で一人で絵手紙を書くのが日課になっているっていうのはすごい!
空を飛んでやってくる絵手紙は楽しいな。
そして、ブログでたくさんの人たちに見てもらえるのがまた嬉しい。
お母さんは自分の書いた絵手紙がドーンと大きく画面に出るのが恥ずかしいらしいけど、コンピューターオンチの私はその絵を小さくする方法がまだ見つからずにいるの。ごめーん!
私の手に届く絵手紙の実物は、やわらかい紙の上に、筆の勢い、微妙な色使い、そしてその時のお母さんの気持ちがそのまま伝わってくるんだけど、コンピューターに入れるとどうもそのやわらかさが消えてしまう。
コンピューターの画面で見ると、立体感がないの。うまく技術を使ったら実物のいいとこがもっと見せられるようになるのかなあ。

試験管ブラシそのもの!
これ、アメリカの前の家の庭にもあったけど、乾燥に強いのでどんどん大きくなってたな。お母さんが来たとき見て笑ってたよね。
今の家にもまたあるのよ。
そっちの方にもやはりあったか。

わーーー!
野菜と果物を育ててるだけだと思ってたのに、ついに、ひよこまで!
卵を孵らせてるなんて、まだ信じられない。
でも、可愛い。
動いてるモデルを絵に描くのって大変だろうな。

蛍袋、懐かしい。
道端にも、山にも、地味に咲いてる花なんだけど、子供の頃からずっと大好きな花。
釣鐘のようなあのふくらみ、それに花びらの色がかわいい!

うちの畑のきゅうりは先があっちに向いたり、こっちにひねったりと、なかなかユニークなのが多くて楽しい。
自由奔放に育ちましたって感じがなんかかわいい。
しかし、この子たちはかなり優等生みたい。プリプリッと元気そうだし。
野菜ってうまくその季節に合ったのが出てくるから不思議だよね。
きゅうりなんてそのいい例で、暑い夏にさっぱりとおいしい料理に活躍してくれるところがすごい。
採れたての瑞々しいきゅうりをお母さんの手作りのひしお味噌で食べるのが一番。きゅうりとわかめの酢の物はいくらでも食べられるしね。
お父さんの大好物のきゅうりの浅漬け。塩辛い漬物の嫌いな私もこれならお父さんに負けないくらい食べられる。

わー、空豆おいしそう!
毎年、空豆が朝市に出る頃は、空豆を茹でて空豆の餡子を作って、お茶のお稽古の茶菓子に使っています。薄緑色の餡子は見た目もきれい、風味も格別。短い旬を茶席で楽しむひとつの手。
同じく、グリンピースの時期はうぐいすあん、枝豆の時期なら、ずんだあんにします。
餡子の話してたら和菓子が作りたくなってしまった。
わたし、豆はおかず系、お菓子系、どっちも好きだから。

このスナップえんどう大好き!あればあるだけ食べてしまう。
なるべくプリッとしたのを選んで食べる。あの食感がなんともいえないよね。私はもっぱら、生でポリポリと。自然の甘さを楽しむの。
今の時期、朝市に出かけたらまずこれに手が出るのです。
いいな、家の畑から食べれたら。

風に吹かれて揺れる麦の穂は清々しいね。
固い大地にしっかり根付き、きれいな空気をたくさん吸って、太陽の元気をしっかりもらって一粒一粒に栄養を詰め込んでくれる。
その一粒を包み込むすべてが美しく見える。

筍が家の裏の竹やぶからすぐ収穫できるってのは幸せだったな。
皮を一枚一枚脱ぎ捨てながら大きくなっていく筍を毎日見られるのは楽しかった。
その筍で作る筍ご飯、そこに、庭から採った山椒の若葉を添える。その格別の風味、どこでも買えないね。この組み合わせは誰が考え付いたのかといつも感心していた。
筍も10日もするとあの固い竹になっちゃうなんて。
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